グローバリズムと不良品について

お問い合わせはこちら

木になる噺し(ブログ)

グローバリズムと不良品について

2025/12/18

グローバリズムと不良品について

建築士が作製する図面は、今現在ある情報を元に、知りえた情報で、実直に問題に向き合います。

曖昧さは計画段階から許されないシビアさを要します。

 

日本文化と日本社会について

 

YouTubeで、職人の番組をよく見ます。

どの職人さんも、材どりの段階や工具整備、工具補修など細部にわたって妥協していません。

日本文化は、対人関係においては一定の距離感などであり、ほんわかした曖昧さが絶妙です。

 

しかし、ひとたびシビアさが必要な分野では、紳士に追求します。

製造、運搬、運航、計測、検品、立法、規則などは、現実的であり、妥協がありません。

 

日本社会では、曖昧さは対人関係においては、非常に有効です。

しかし、シビア分野では、曖昧さは不純物で、結果的に邪魔です。

 

日本文化には、このシビアさが内包されています。

日本社会は、対人関係で曖昧な距離感、曖昧な時間軸があります。

 

この日本社会での、対人重視しますと、「保留」「暫定」「未整備」「不具合」が現象として現れます。

依頼者との打ち合わせでは、人と向き合いますので、曖昧さが要求されます。

一方、依頼者との打ち合わせでの、「保留」や「未決定」で施主回答がない場合、曖昧な状況下で製図作業は進行します。

 建物はシビア分野ですので、曖昧さは、後の不具合の要因となります。

 

図面においても、企画段階での、曖昧さは不要であり、曖昧さを内包したまま、進行しますと仕上に近づくと面倒な状態に陥ります。

 

 

図面は商品について

 

日本は、資本主義社会ですので、図面に料金が発生し、商品化するのは、当然です。

しかし、その経済的側面ばかりで図面を商品としてとらえますと、図面の価値は、単に1枚いくらの価値の商品になり、本来の現場でのリスクヘッジなど様々な検討課題を包括するような、商品では拾いきれない欠落を内包する事になります。

図面を単価として捉えるのは、軽薄な姿勢に陥りやすいと経験上、思います。

 

そもそも、計画を司るものは、建物全体を安全でかつ、無理なき工事計画を考慮し、近隣や環境を配慮し、法順守が求められます。

それ以前に、資格者や技術者は最低限、知恵、能力、綿密性が求められます。

精度で作り上げる製品は、どの産業においても日本の職人文化としての最低限のマナーであり、製造工程においては、曖昧な人間的距離感など、結論を先延ばしにするだけの厄介な現象となります。

 

 また、依頼者が矢鱈に細かく、専門的な計画にまで細かな指示をしてくる場合が時折あります。

施主要望は重要な要素な情報源です。

一方で、施主の指示が、技術検討や行政協議などに関わる事柄はちょっと、厄介です。

例えば、施主要望は食材だとしますと、設計の技術過程や行政協議などは料理だとします。

 

詳細すぎる指示はすでに設計に介入し、料理を一緒にしている様な事になります。

これは、プロの料理人が、料理をするのが本質だとしますと、素人に教える料理学校の先生になる事になります。

これに、にわか知識で、依頼者が料理(設計)に介入しますと、企画段階から、施主説明ばかりで、進行が停滞し、コスト面でも合わない状態になります。


 

建物ボリュームチェック図

マンガ図面(ポンチ絵)

 

前回お話しました、昭和の敷地求積図(地籍測量図)を元に設計したお話をしました。

それを元に作製した図面は単にマンガ図面だともお話したと思います。

俗称、ポンチ絵と呼ばれています。

 

当社であれば、ポンチ絵しか書けない状況の依頼であれば、それは、単に不良品の製品であり、依頼をお受けしていないと思います。

 

このように、他の設計事務所でこのマンガ図面に支払いを済ませ、その図面を抱いて、他の設計者に依頼される施主は本当に不幸だと思います。

動機は、単に図面を描いて、枚数分の金額の収入を得るだけであり、実施可能、不可能は考慮していないのではないかと思うのです。

 

図面も職人の製品であり、単なる商品ではないと思います。

振り返れば、平成初期までは、手書きで製図し、図面(原図)は本当に大事にされてきました。

図面には、書き手の魂が宿り、図もさることながら、文字や数値の綺麗さ正確さが表れていました。

 

日本においても、単に商品に成り下がり、下劣なグローバリズムが浸透して、毒されてきた結果に思えます。

 

図面に一つにとっても品位や精度を見極められない依頼者は、専門性が介在しますので、マンガ図面か見極められないので仕方がないのとは思います。

しかし、依頼者にも、専門知識以前に、受託者に内包する、見識や真実、仕事に対する姿勢を見抜く能力が必要だと思うのです。

 いや現代の様に、保守が崩れ、グローバリストがいたるところで蔓延る現在だからこそ、自己フィルターが必要だと思うのです。

 

ここで、思う事ですが、依頼者は、この事実が発覚し、又はトラブルに巻き込まれますと、

「こんな人に頼んで損した」と言います。

 

施主や依頼者について

 

しかし、ダメ建築物を結果的に持つ依頼者には、共通する傾向があります。

 

それは、物事を「善悪の2面性」で分類しているのが共通しています。

「いい」、「悪い」で既決します。

 

単純な結論を出して、はやくすっきりしたいと自己正当化して、他者を判断しています。

 

正しいとか、義務とか、契約とか、条件などで、対人関係を保ちます。

この傾向のある方は、外国人相手に会話してほしいものです。

 

古来から日本文化において職人は、労務量で結果を重んじてきました。

 

「職人の仕事は手間の量」で決まり、価格ではありません。

「出来高」という概念があり、結果で価格をつけてくださいと相手に価値を委ねるいう契約方法です。

現代でいえば、契約は仕事前に決定しますが、「出来高」は、のちに委ねる方法です。

 

受諾段階では、幾らの価値か不明なまま、仕事をするわけで、受諾者側には一定の不安感があります。

受託者側からすれば、不安感でいっぱいです。

その不安感を「満足度」で測ってもらい価値を価格に示してもらうという、日本文化らしい契約方法です。

 

 職人労務には、義務や条件、成否も超越したところで作業が発生し、質の為に労務量をおしまない本能があるものです。

全ては質が重要であり、結果が質文化生み、質文化が日本文化です。

 

世界と比べ、消費者の品質を見極める基準が厳しいのも、それが一因だと思います。

 

 条件や金、契約、善悪など、グローバリズムの概念であり、現代では、価値観だけが標準の様に言われています。

グローバリズムは、質文化を侵し、日本文化が着実に破壊されています。いい加減にしてほしいものです。

 

この概念が企画段階の打ち合わせの内容では、大半がこれを支配しています。

工事費(金)と工期(時間)と契約(条件)のグローバリズムが山盛りです。

 

建物の質や仕事の姿勢の要求など議論は、施主や依頼者からあまり要求がありません。

 

本来、どこ産の何年物など、安く入る場所の話だとか、この部分に使うと目立つとか「粋」な話をしたいものです。

 

そのような施主の姿勢が知らず知らずに、雨漏りなどの不良物件や違反建築物を生むのです。

 

まあ、依頼者の考え方が不良建築物を生むのは間違いありません。

受託者もそれに協力していることさえ気づかないのですから、おめでたい方々だと思います。

 

当社は、そんな依頼者の姿勢について、言及はしません。一定の距離を置いて、最低限の仕事量でこなすだけです。

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。